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学生時代回想録 Part4

伊東猛です。

中学卒業まで私がコーチをしているジュニアテニスチーム・エリートチームでテニスに取り組み、その後アメリカで3年間テニスと学業に励み、この半年ほど日本に滞在していた井上眞が、アメリカでの大学生活をスタートさせるため旅立ちました。エリートチームに初めて来たときは真っ青な顔で元気がなく、「ここでテニスを頑張ってやる気はないのだけど、無理やり親につれてこられたから・・・」とは口に出しては言わないまでも、雰囲気からそれを感じ取ることができたので「きっとすぐ辞めていくんだろうなぁ」と思い、適当に接していました。が、ある事(たしか私が得意な他のラケットメーカーのネガティブな話だったと思います)をきっかけにそれまでの雰囲気が一転、水を得た魚のように明るくなり、周りの選手ともどんどん会話が弾み、仲良くなっていきました。テニスもどんどん上達し中学卒業と同時に単身渡米、彼の両親はじめ周りの方からのサポートを得ながらだったのは当然ですが、自分が進むべき道を自分で決めて進み、優秀な大学への入学も決めて一時帰国していました。これから始まるアメリカでの大学生活、レベルの高いディビジョン1でのテニスを謳歌するのだと思いますが、眞が卒業後にどういう道を歩むのか今から非常に楽しみです。

さて、今回は私の大学時代の話の4回目ですが、話の流れ上1年目の話から読んで頂いた方がよく分かると思いますので、比較的最近読み始めた方は是非バックナンバーVol.10:学生時代回想録 Part1から読んで頂ければと思います。

4年目、最後のシーズンがスタート

最悪だった3年目のシーズンが最後の大会の優勝である意味最高のシーズンとなり、4年目最後のシーズンをチームとしては良い雰囲気で迎えることになりました。ただ、チームNo.1だった選手が前年で卒業し、残った選手のレベルがある程度横並びだったこともあり、9月の時点では1月からの団体戦シーズンに誰がチームのNo.1としてプレーするか全く予想がつかない状況で、そこを目指してチームの誰よりも練習を積んできた私にとっては少し歯痒ゆいシーズンのスタートでした。9月からいくつかの個人戦が始まりましたが、特にパッとした成績も上げることができず、11月後半に行われる Regional Tournament(日本でいうと関東学生や関西学生にあたるでしょうか・・・)の結果で1月から始まる団体戦のオーダーが決まることになりました。この大会では過去3年間、シングルス2回戦敗退が続いており、4年目の挑戦も1回戦は難なく突破したものの、2回戦では巨人でビッグサーバーの相手に2−6、2−5と万事休す、「結局4年間、この大会では良い成績を出すことができなかったかぁ・・・」とすでに諦めの気持ちになった事を今でも覚えています。ただ、最後の挑戦だったので「とにかく少しでも長くコートに立ちたい」という気持ちが湧き始め、「とにかく自分からミスはしない」と心に誓い、しっかりラケットを振り抜きながら、全てのショットに思いっきりトップスピンをかけてプレーする事に集中しました。すると一球一球ボールに集中することができ、試合がどんどん自分のペースにハマって行き、気づけば逆転しその試合に勝利していました。そこでコツを掴んだのか、次の試合も競りはしたもののしっかり勝利し、ベスト8をかけて大会第1シードとの試合に挑むことになりました。

大会第1シードのOliver Maibergerは、前年にチームとして対戦した時にNo.2でプレーした私のチームメートをボコボコにし、その年の全米学生選手権では前年の全米学生チャンピオンを破るという偉業を成し遂げ、とにかくこの大会でダントツの強さを誇っていた選手でした。当然実績も実力的にも及ばない相手だとコーチもチームメイトも思っていましたが、私自身は2回戦で得た「飛んできたボールとだけ対面する」ということだけ意識していたこともあって、あまり相手がどうこうとは考えず、凄くリラックスした状態で試合に入ることができました。プレー中、一切プレッシャーを感じることがなく自分有利に試合が運び、気が付けばストレートで勝利。次の準々決勝もしっかり勝ちきりベスト4に進出しました。準決勝では Nenad Zivkovic というセルビアの巨人を相手に良いプレーをしましたが、強烈なスピンサーブをバックハンド側に集められ、甘いリターンをひたすらボレーで処理され惜敗し、大会を終えました。準決勝も勝つチャンスがあったので悔いは残りましたが、自分の期待を大きく上回る結果を残し、1月からのシーズンをNo.1としてプレーすることも確定させることができたという点では良い大会でした。

ホームコートである大学のインドアテニスコートの見取り図。真ん中にスタンドがあり、シングルスNo.1とNo.2選手は観客の目の前でプレーすることが出来ます

1月から団体戦シーズンが始まり、1年生の時から目標としていたNo.1のポジションに、4年目にしてようやく辿り着きました。上の図にある通り、No.1であれば、観客席(試合には数十人から百人近くの観客が集まる)の間近のコートでプレーを見てもらうことができ、またNo.1選手として取材を受けることも多く、ローカルのテレビ番組にも取り上げてもらえたりと、大学キャンパスを歩いていると多くの人に注目してもらえるので(注目されている気がしていただけかもしれないですが・・・)、それはもう気分は最高でした。

大学新聞や街のローカル新聞に掲載された記事。たびたび取材を受け、記事にしてもらえました

シーズンを通してシングルスもダブルスもNo.1でプレーし続け、シーズン最後の Conference Tournament(前年劇的な優勝を飾った大会)では、団体戦では結果的に3位で終わったものの、その準決勝では11月の Regional Tournament の準決勝で敗れたZivkovicとの直接対決にストレートで勝ち、3位決定戦では再度Maibergerにもストレートで勝ち、最高の形でシーズンを終えました。

Conference Tournament 終了後に会場にてチームメイトと

ご褒美!? シーズン最終戦が終わり、夕食を終えホテルでくつろいでいると「コンコン」と部屋の扉をノックする音が。出てみるとコーチが立っており、「タケシ、今回の Zivkovic と Maiberger を倒したことで、全米学生選手権シングルスに出場できるかも。明日には最終結果が出る予定だけど、おそらく大丈夫なはずだ」と報告をくれました。そしてその翌日、正式に全米学生選手権シングルスに出場可能と連絡がきました。大学に入学した時、コーチに目標を聞かれ、「全米学生選手権出場!」と答えたときには苦笑され、「流石にそれは難しいだろ」と言われた目標を、時間はかかったものの達成することが出来たことは嬉しかったです。しかしその反面、出場できることで満足してしまったのか試合では全く気が入らず1回戦敗退となり、今思えばなんとも情けない話だなと少し後悔もあります。

全米学生選手権シングルス、1回戦での写真。相手はAdidasのスニーカー名にもなっている元グランドスラムチャンピオン・Stan Smithの息子のRamsey Smithでした

4年間のアメリカでの大学テニスを振り返り

全米学生テニス選手権を最後に4年間の大学でのテニスが終了しました。入学時点ではレギュラーを取れるか分からないポジションからのスタートでしたが、年々ポジションを上げていくことができ、最後の年にNo.1としてプレーできたことは大きな自信になりました。それを達成できたのは、大学を卒業した後にプロとしてプレーをすることを念頭に置いていたこともあり、当然チームの誰よりも多い時間コートに立ち、グランドや坂道を走り、より多くを考えて練習していたからだと確信しています。チーム練習開始時間の1時間前には練習場所に到着するようにし、トレーニングを20〜30分、その後コートでサーブ練習を20〜30分行い、時間が余ればオンコートでフットワーク上達のためのトレーニングを行うなど、自分なりに上達するために必要と思えたことを全て取り入れるようにしていました。チームで行うランニング系のトレーニングでは大体いつも1番でしたが、常に全力で取り組んだからなのか分かりませんが、毎トレーニング後嘔吐していました。帰宅後は、今から考えると良かったのか分からないですが腹筋を1,000回することを日課とし、日々成長するべく、毎日1回ずつその回数を増やしていきました。

寮の部屋のコルクボード。日課としてやることに決めて腹筋1,000回を表す「1,000」。なぜこのような書体で書いたのかは不明です

特に2、3年生の時は食べても食べてもトレーニングと練習量が多かったためか顔が痩けていったので、毎日練習後にマクドナルドに直行し、ビッグマックとバニラシェイクを摂取していました。それでも太ることができなかったあの頃を思うと今は悩ましい・・・。

大学4年間の通算シングルス勝利数は95勝で、これは1908年から始まった長いチームの歴史の中で歴代4位の記録。ただこの数字は今回メルマガを書くために色々と資料をあさっている中で見つけた記録で、自分でも全然認識していませんでした。昨年、アメリカ大学視察ツアーの一環で日本の高校生を連れて University of New Mexico テニスチームを訪問した際、それまで全く会ったことがない現チーム監督が、「タケシの当時のハードワークに関する話は聞いて知っている。実際にキャリアとしても凄い記録も残しているし、タケシは大学チームのレジェンドだ」と現在の大学チームの選手達に紹介してくれたのだですが、彼が言っていた「凄い記録」というのは、どうやらこの4年間での勝利数のことだと今分かりました。また当時の私自身の練習やトレーニングでの取り組みについてのエピソードが20年たった今でもチーム内で語り継いでもらえていることがとても嬉しいです。

今回、学生時代を振り返り文章を書き起こす中で、とにかく当時は我武者羅ではあったもののかなりの信念を持って日々生活していたことを思い出します。当時、私自身の行動指針として毎日目を通していたのが、小学生の時に父親から渡された下記の2つの資料です(これは現在コーチングしているエリートチームのジュニア用に私が加筆修正を加えたアップデート版になります)。

改めてこれらを読み返してみると、ジュニアの頃から毎日のように目を通してきた言葉なので、現在においても私の考え方や行動に相当な影響を与えていると思いますし、この言葉があったからこそ、自分を磨くという作業に取り組み続けることができたと感じます。コーチとなった今は、関わっている選手が「最高の自分を目指してベストを尽くす」ことができるよう、サポートしていきたいと思っています。

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