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学生時代回想録 Part2

伊東猛です。

先日、ATPとWTAが8月よりツアーを再開すると発表、それに伴い世界各地でトッププロによるエキシビジョンマッチが行われるようになってきました。そんな中、ジョコビッチが主催していたAdria Tourにおいて数名のCOVID-19感染者が出たことが大きな話題となっており、今回の出来事がツアー再会時期に影響を及ぼすのかが注目されています。今のところ8月末にはニューヨークでUS Openが開催予定となっていますが、アメリカでは6月25日にCOVID-19の新たな感染者が2万人を超えるなど過去最高を記録、まだまだ不安が多く残る状況です。


不安といえば、前号から書き始めた学生時代回想録のPart1で紹介しましたが、在籍していたUniversity of New Mexicoのテニスチームでは私の1年目のシーズンが終わった際、チームメンバー9人中4人がチームを去ることになり、2年目のシーズンをチームとして戦えるメンバーが揃うのかが心配でした。また1年目のシーズンをレギュラーメンバーとして戦ったものの戦績としては決して満足できるものではなく、2年目も団体戦メンバーに入れるかも不安でした。


大学1年目のシーズンが5月末で終了し、9月に新学年がスタートするまでの長い夏休みに入りました。ほとんどの選手が実家に帰省(もしくは母国に帰国)し家族と時間を過ごすのですが、次年度に対する不安を払拭するため、私はこの期間を利用しATPポイント獲得に向けて遠征をすることにしました。University of New Mexicoのチームメイトで大親友となったイスラエル出身のAssaf Drori(Assafとは今でも毎日のように電話で話す仲です)と一緒にまずはイスラエルのエルサレムへ、3日程そこで練習しハンガリーのブダペストに飛びました。


ブダペストでは3週間滞在、3大会に出場しましたがATP世界ランキングポイント獲得には至らず悔しい思いをしました。ただ初の東ヨーロッパでの滞在で独特の街並みや雰囲気に触れることができ、また死ぬかと思う怖いことも体験し、人生にとっては非常に良い経験が出来た3週間だったと感じています。


ブダペストの大会会場での1枚。初めて東ヨーロッパの国へ訪れ独特の雰囲気に触れることができ、またフロリダのアカデミーでルームメイトだったスロバキア人の友人と会場で奇跡的な再会もあった、思い出が多く残っている遠征でした。


試合は週末に予選があり月曜日から本戦がスタートするのですが、負けると次の週末までは試合がないため「せっかくハンガリーまで来たのだから!」とスケジュールの合間を縫い、電車を使ってオーストリアのウィーン、ドイツのカールズルーヘという街へも観光に行きました。学生時代の海外遠征はAssafと一緒に行くことがほとんどでしたが、Assafの父親がユダヤの強大なネットワークを持っているのか、例えばウィーンへ行った際も「ウィーン駅に着いたら友人が迎えに行くから、お世話になれば良い」と連絡が入り、迎えに来てくれた人が1日中車で色々な場所へ連れて行ってくれ、食事も御馳走してくれたりしました。とにかく遠征先では、試合のスケジュールによりチケット変更などが必要となったり何か問題がおきた時も含め、いつもAssafの父親が解決してくれるため心強かったのを覚えています。

オーストリアのウィーン旧市街でホーフブルグ宮殿をバックにAssafと


ハンガリー遠征後はイスラエルに戻り数日滞在した後、アメリカへ渡りフロリダで行われている大会に出場しました。そこでもAssafと一緒に友人の家でお世話になり、不自由なく過ごすことが出来ました。フロリダでの大会では、高校の時に一緒のアカデミーに通っていたAndy Roddick(当時16歳)とも再会。14歳以下では全米No.1だったAndyでしたが、この大会でプレーを見たときは全くストロークに威力がなく、「あれだけ強かったAndyもプロになれずに終わっていくんだろうな」と思ったのを鮮明に覚えています。翌年Las Vegasの大会でAndyと再会しましたが、前年にフロリダで見た彼とは体格も雰囲気も別人と化し、「次のアメリカのスター選手候補!」とメディアで取り上げられていました。その後の彼の活躍はご存知の通りだと思いますが、世界No.1へと駆け上がり歴史に残る名選手となりました。

フロリダで撮影した1枚。右から家の持ち主であるPedro(ベネズエラ人で大富豪?の息子)、Assaf, Kevin(Assafの大親友のアメリカ人)、そして私。当時4人全員が19歳で、今から思うと凄く優雅な学生生活を送っていたなと・・・。

歯車が噛み合い出した2年目


フロリダで3週間過ごした後、2年目のシーズンスタートに備えるためAlbuquerqueへ戻りました。1年目の終わりにコーチと交渉し確約してもらった毎朝のプライベートレッスンが2年目のスタートとともにが始まりました。朝は6時起床。朝食を軽く済ませて6時半に寮を出発、ラケット3本と教科書が入ったラケットバッグを担ぎ、3.2Km離れたテニスコートまでウォームアップ代わりに走りました。そして7時から8時過ぎまで練習し、9時からの授業に間に合うようにキャンパスに戻るという毎日。

私が University of New Mexico のテニスチームに在籍した4年の間、チームを率いたヘッドコーチは Alan Dils、そしてそのアシスタントは双子の兄弟であるLoren Dilsで、2人共とても家族思いで人柄が良いコーチたちでした。その2人がそれぞれ1日おきに私の練習相手をしてくれて、それがきっかけでコーチとのコミュニケーションが増え、お互いの理解が深まったことでテニス面だけでなく学業面や生活面でもサポートしてもらえることとなり、生活が充実し始めました。プレーに安定感が出始め、戦績も少しずつ良くなっていきました。

2019年2月、アメリカ大学への進学を希望する高校生と母校を訪れた際に撮影した1枚。右から、ヘッドコーチだったAlan Dils、私、チームメイトだったJohn Kowalski、アシスタントコーチだったLoren Dils。LorenはALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い闘病中。


チームも他大学からのトランスファー(編入のこと)でスイス出身の選手、新1年生で南アフリカのトップジュニアでありATPランカーでもあった選手、あとそこそこ良いレベルでプレーできるアメリカ人2人とカナダ人1人が加入し、強化体制も整っていきました。秋学期の個人戦そしてチーム内での部内戦の結果から、2年目のシーズンはダブルスは2番手もしくは3番手、シングルスは4番手としてプレーし、1年を通じてダブルスは24勝10敗、シングルスは29勝10敗という結果を残し、この年の「チーム最多勝ち数」を記録することができました。


1年目のシーズンから目標は、

・チームのNo.1としてプレーすること。

・全米学生選手権に出場すること。

で、全米学生選手権出場という目標にはまだまだ手が届きそうになかったですが、チームのNo.1としてプレーする目標を達成することには1歩ずつ近づき、望みを繋いでいると実感があったので、3年目のシーズンを迎えるにあたり、自分自身への期待が膨らむ2年目のシーズンでした。


ダブルスペアのBrent Salazarと。Brentは大学卒業後フィジカルトレーニングのコーチとしてのキャリアで大成功し、NFLのKansas City Chiefsではアシスタント・ストレングスコーチとして、Minesota Vikingsではヘッド・ストレングスコーチとして地位を確立。現在は全米テニス協会のDirector of Perfomanceとしてアメリカのトップ選手のフィジカル面を担う現場のトップして活躍中。


大学のチームで遠征したハワイのホノルルでチームメイトと。右からスペインのトップジュニアだったPepe Caballero、私、John Kowalski、Brent Salazar。



次号では大学3年目以降の話を紹介いたします。


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